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連載再開に先立って

ご無沙汰しております。鉄道手帳編集部です。

昨年の12月29日に更新をして以来、8ヵ月以上も放置してしまいました。この間に当ブログを訪れてくださった方には深くお詫び申し上げます。

ブログ更新を中断していたのには理由があります。じつは、弊社刊『乗らずに死ねるか!』の著者、黒田一樹氏が今年1月3日に逝去されました。享年44歳。あまりにも早すぎる旅立ちでした。以来、どうしてもブログを更新する気になれなかったのです。

ほぼ同年齢の黒田さんが、エネルギッシュかつアグレッシブに人生を謳歌していた黒田さんが亡くなったショックは非常に大きく、一時はこのままブログを閉鎖しようかとも考えたほどです。

しかし時間が経つにつれ、このままではいけないとの思いも徐々に強くなってきました。

とはいえ、ブログを再開するにあたっては、黒田さんのことに触れないわけにはいきません。ブログ休止の理由を述べるためではなく、自分のなかで区切りを付けるために、です。

私事で恐縮ですが、ブログ再開に先立ち、黒田さんへの言葉を掲載させていただきます。以下の文章は、お葬式で参列者代表の一人として読み上げる予定でしたが、当日持参するのを忘れてしまったため、後日、奥様にお送りしたものです(当日は書いたことを思い出しながら、お話をしました。思いがこみ上げて、半分もお伝えすることができませんでしたが)。

生前の黒田さんをよく知る方にはご理解いただけるものと思いますが、そうでない方には度が過ぎると思われるかもしれません。

黒田さんは湿っぽいのを嫌う方でしたので、参列者の皆さんに私の知る黒田さんを想像していただき、少しでも笑っていただけるようにと面白おかしく書いているところもありますが、誇張はありません。

社交儀礼を嫌う黒田さんに対しては、本音で語るのが供養になると信じて、全文をそのまま掲載します。


本日お集まりの皆様に比べると、黒田さんとのお付き合いは浅いほうだと思います。黒田さんの鉄道本デビュー作である『乗らずに死ねるか!』の編集を担当し、その後も当社の鉄道セミナーにご協力をいただいたり、地下鉄本の企画を一緒に練ったりと、4年ほどのお付き合いになります。

黒田さんと出会ったのは、140Bさん主催のナカノシマ大学のセミナーでした。2013年の4月のことで、その頃、私は鉄道本の新たな著者を探していまして、あれこれと調べていたのですが、なかなか琴線に触れるような人にめぐり会えませんでした。

鉄道趣味を生業とする人はこの業界にそこそこいるのですが、どうも文章がいまひとつで――いまひとつというのは、根っからの鉄道ファンには十分通じるけれど、それほどでもない人にはいまひとつ魅力的でないという意味です――ものは試しとナカノシマ大学を受講したのです。

そこで初めて黒田さんの講演を聞きました。講演が面白くなければ挨拶もせずに帰るつもりでしたが、これが滅法面白く、講演が終わる頃には、どのタイミングで挨拶をしようか、どう切り出そうかとソワソワしていたのを覚えています。

講演が終わったあと、すぐに黒田さんのもとに行き、鉄道本の出版にご協力いただけないか、手短に伝えました。いま思い起こすと、黒田さんはやや緊張した顔つきでしたが、安売りはしないとばかりに努めて冷静に振る舞っていたように思います。

けれども、儀礼的なメールのやりとりを経て、後日じっくり話し込むと、堰を切ったようにしゃべりだし、そこから話はトントン拍子に進んで、最初の挨拶から1ヵ月も経たないうちに企画書がまとまりました。

全国から黒田さん独特の審美眼にかなう名列車をセレクトして、縦横無尽に論じてもらうことになったのですが、これが目次からして出色で、黒田節が随所にみられました。

たとえば、京急800系のタイトルは「最高にして最後の俺様電車」、スーパーあずさは「交響曲・孤高の振り子特急」という具合で、いままでの鉄道本ではまずお目にかかれない、けれども妙に説得力のあるタイトルが付けられました。

このほかにも、南海・特急サザンには「純喫茶、臨港線、連絡船」、東武・尾瀬夜行には「飴色に沈む時間」というように、物語が聞こえてくるようなフォトジェニックなタイトルを付けるのも黒田さんらしいところで、編集者として、また第一の読者としてずいぶん楽しませてもらいました。

文章もまた上手で、語彙が非常に豊富なのに驚きました。鉄道の話なのに、美術や音楽、建築の知見が随所にちりばめられ、それが様になっていました。

まあいささか趣味に走りすぎ、スノッブで鼻に付くところがないではありませんでしたが、それを越えてリスペクトせざるを得ないような、そういう雰囲気を醸し出していました。

自分の思うことを思ったままに表現するというのは案外難しいものですが、黒田さんは言葉遣いが巧みで、自分のスタイルというものを持っていました。展開も非凡で、読み手を飽きさせることのない、非常に優れたストーリーテラーです。

ただ、編集者としては、あまりに尖った表現には抑制的にならざるを得ない場合もあります。読む人によっては気分を害するというか、誤解を招きかねない表現は、読者にとっても、その本にとっても得にならないからです。

この本の場合がまさにそうで、「はじめに」は5回ほど書き直してもらいました。言いたいことはよくわかるのですが、従来の鉄道評論へのアンチテーゼからか、もっともだけれど厳しすぎるコメントが並んでいたので、それは何とか削ってもらいました。

反対に本文のほうは、なるべくあれこれ注文を付けないようにして、自由に書いてもらいました。文句の付けようがない構築的な文章であったこともありますが、角を矯めては黒田さんらしさが失われるとおそれてのことです。

はたして黒田さんは期待に応えてくれ、いままでの鉄道評論とはまったく違うモデルを作り上げました。あえて言うなら、それは自動車評論のスタイルに近いと思いますが――黒田さんにそう伝えると、まんざらでもない様子でした――それにも増して、書き手の感性を感じさせる文章になりました。

私はスムーズでない原稿には恐縮しつつも、しっかり赤ペンやらエンピツ書きのメモを書き込むほうですが、黒田さんの原稿に対しては、あまり入れませんでした。それは遠慮したのではなく、個性的にすぎるところはあったものの、文章の完成度がきわめて高かったからです。黒田さんは自分のスタイルをもっていました。

もっとも、原稿を1本書き上げるたびに感想を求められるのには少々困りました。原稿をメールで送るや電話をかけてきて、原稿をすぐ読んでくれと言うのです。

たしかに良い文章なのですが、大急ぎで読んで、感想というか印象を伝えるのはなかなか骨が折れました。5本や6本ならともかく、30本近くとなると、評価のバリエーションが追いつきません。

が、褒めないと目に見えてモチベーションが下がるので、何かしら気の利いたことを言わねばなりません。おかげで多少はマシなことが言えるようになりました。

本は企画から1年ほどで出来上がりました。本業をこなしながらの原稿執筆、校正ですから、これは驚くべきハイペースです。

その間、何度も激論を交わしました。何日かはお互いに徹夜仕事になりましたし、私から黒田さんに無茶振りもしました。喫茶店で数時間粘るのは当たり前で、週に何度もかかってくる電話で毎回少なくとも1時間は話しました。

私には長電話になる著者が何人かいますが、黒田さんは間違いなく「長電話三傑」に入っていて、これは編集部で広く認知されています。次から次に話題を変え、話題が尽きそうになると、名残を惜しむかのように、どうにか間をつないで別の話題に移るのですから、なかなか切れません。恋人同士でもあるまいに……。

本が出来上がるまでの間、掴み合いの喧嘩はしませんでしたが、その頃には言いたいことを言える間柄でしたので、私も負けじと、かなり率直な物言いをしました。

けれども、次に話をする時には、そんなことはなかったことになっていて、また別の話を熱心に話し合います。与太話に興ずることもありましたが、仕事の話はたいそう論理的で、大いに刺激を受けましたし、勉強させていただきました。

『乗らずに死ねるか』は、じつは商業的にはけっして成功したとは言えませんが、鉄道評論の新しいスタイルを打ち出した点で非常に意義があると考えています。

私が最も信頼する鉄道本の著者は、黒田さんがお気に入りで、「彼の文章はいいねぇ。まず視点がいいよ。この業界、鉄道ライターはたくさんいるけど、黒田さんほど文章が達者な人はいないよ。彼にどんどん書いてもらいなよ。まあ最初の本は売れなかったかもしれないけれど、内容は間違いなく良かった。日本の鉄道ファンが追いついてないんだよ」と言っていました。

私もそのつもりでした。

黒田さんとのお付き合いはこれにとどまらず、創元社主催の鉄道セミナーの講師も担当していただきました。これは毎回大好評で、受講者の満足度が非常に高く、5回まで続きました。

みなさんご存じのように、プレゼンテーションが非常に巧みで、途切れのないマシンガントーク、見やすく工夫のされたビジュアル、参加者いじり、もといコミュニケーションにも長けていました。しゃべるのが得意な人に文章を書いてもらうと、案外ダメなことが多いのですが、黒田さんは両方とも器用にこなしていました。

黒田さんには、つぎに日本全国の地下鉄を対象にした『地下鉄の読み方』を出していただく予定でした。原稿は途中まで出来上がっていて、東京の地下鉄と総論を書き上げれば、ほぼ出来上がるはずでした。

そしてそのあとは、プレミアムトークセミナーをもとに東京の地下鉄だけを対象とした本、さらに世界の地下鉄を征服した暁には、それを書籍にまとめていただく約束もしていました。

いずれも果たせず、非常に残念です。多才な人ですから、ほかにもさまざまな可能性があったはずです。ただ、一番残念なのはご本人でしょう。あれも、これもと、他にもやりたいことがあったことと思います。一筋縄ではいかない人でしたが、それを補ってあまりある才能と行動力の持ち主でした。

黒田さんとのお付き合いは短いものになってしまいましたが、とても濃密なものでした。もう黒田さんと仕事ができないと思うと寂しいかぎりですが、黒田さんに教えていただいたモノの見方、考え方を受け継ぎ、これからも良い本を作りたいと思います。黒田さんに「さすがだね」と言ってもらえるように。

黒田さん、どうもありがとうございました。

これをひとつの区切りとして、前に向かって歩いていきたいと思います。今後ともよろしくお願い申し上げます。

追伸 次回が「運行再開」です。10周年を迎える『鉄道手帳』について、また同時刊行の『関西の鉄道車両図鑑』について、見所をお伝えしてゆきたいと思います。
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