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エスカレーター問題、ふたたび。

今朝の「モーニングバード」(テレビ朝日)でエスカレーター問題を扱っていました。東京は「左立ち」なのに、なぜ大阪は「右立ち」なのか、という私にとっても積年の疑問です。

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番組の取材によれば、エスカレーター「右立ち」が行われているのはもっぱら関西で、東は滋賀県(VTRで見るかぎり、米原駅は右立ち、大垣駅は左立ちでした。ちなみに関ヶ原駅にはエスカレーターがありません)から西は兵庫県までに「右立ち」ルールないしマナーが広まっているとのこと。関西以外では、徳島県と高知県、宮城県が「右立ち」だそうです。

では、なぜ関西では「右立ち」なのか。「右立ち」はいつ頃から始まったのか。以前、私は当ブログで「阪急電鉄発祥説」が有力だと思うと書きましたが(前回記事「エスカレーターは右立ち、左立ち?」)、今回それを確かめることができました。

番組が取材した文化人類学者の斗鬼正一教授(江戸川大学)によれば、1967年に阪急電鉄がエスカレーター(いわゆる「動く歩道」、ムービングウォークのことだと思います)を設置した際、通行をスムーズにするため、急いでいる人のために左側を空けるように(つまり右側に立つように)アナウンスを入れたことがきっかけだそうです。

「右立ち」を採用した理由はわかりませんが、ともかくこのアナウンスは1998年頃まで流されていたそうで、私も聞き覚えがあります。

ただ、これだけで関西に「右立ち」が広まったわけではないようで、斗鬼教授によれば、阪急電鉄のアナウンス開始から3年後、1970年に大阪で開催された「日本万国博覧会」が普及の決定的な契機になったそうです。

世界中から観光客を迎えるにあたり、混乱のないように、エスカレーターについては世界中で採用されている「右立ち」を導入することになった、ということのようです。日本では圧倒的に「左立ち」が多いのですが、じつは「右立ち」がグローバル・スタンダードなのです。

では、なぜ日本では「左立ち」が主流なのか。斗鬼教授によれば、国鉄時代からずっと左側通行なのだが、それは自動車の左側通行と関係があるとのこと。なるほど、たしかに日本では自動車は左側通行で、高速道路等では右側が追い越し車線になっています。鉄道も左側通行ですね。

世界の例を見てもそうらしいのですが、例外もあります。イギリスでは、自動車は日本と同じ左側通行ですが、エスカレーターは「右立ち」です。

イギリスで「右立ち」になった理由は定かではありませんが(エスカレーターが導入された当初、右側にしか手すりがなかったからという説があるそうですが、私はまだ確かめていません)、その起源はわかっています。1921年に「stand on the right」という案内放送が導入(右立ちの表示は第二次世界大戦中に導入)されたのがはじまりだそうです(wikipedia英語版)。

エスカレーターについては、他にも気になることはありますが、ともあれ当ブログでは「関西におけるエスカレーター右立ちのはじまりは阪急電鉄であり、その普及は大阪万博による」と結論づけておきたいと思います。


《追記》
(1) 宮城県において「右立ち」が普及している理由としては、番組では仙台市営地下鉄のエスカレーターで「右立ち」が行われているからと説明していました。そう言われれば、むかし仙台に出張に行ったとき、右立ちだったので驚いた覚えがあります。

(2) 関西はみんな「右立ち」かというとそうでもなく、たとえば京都駅は右立ちと左立ちが混ざっているように思います。これは各地からの観光客が多いことが関係しているのでしょう(たぶん)。

(3) 阪急電鉄がムービングウォークで「片側立ち」を推奨した理由としては、まず関西人のせっかちな気質があると思います。私が子供の頃、大人たちが左側をものすごい勢いで歩いていたのを覚えています。

(4) 肝心の「右立ち」の理由ですが、私は単にイギリスに倣ったのではないかとひそかに考えています。というのも、阪急百貨店は世界初の電鉄系デパートですが、イギリスの高級百貨店ハロッズを参考にしているように思われるからです。端的な例はロゴです。百貨店のロゴは、紙袋や包装紙にも使われ象徴的な意味をもちますが、阪急百貨店のそれはハロッズにそっくりです。

また、阪急百貨店は大々的な「英国フェア」を頻繁に開催します。当初からイギリスびいきなのか、京阪神の富裕客層を意識してのことか知りませんが、「なんとなくイギリス的」な感じがします。だから阪急電鉄はイギリス式にならったのではないかと思うのですが、根拠が薄弱ですかね。

富山地鉄・稲荷町テクニカルセンター見学

前回に続いて、富山地方鉄道さんの取材について。

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テクニカルセンターは稲荷町駅を降りてすぐのところにあります。

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緊張しつつ敷地内に踏み込むと、いきなり台車が……。ほかにも部品がそこここに置いてありました。工場に入る前からテンションが上がります。

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車庫の横をすり抜けて事務所に向かうと左手に車両群が見えました。「えっ、これって演出?」と二人して興奮気味に写真を撮っていると、後方から「創元社の方ですか?」の声。車両グループ・グループ長のSさんでした。ちなみに車両が並んでいるのは演出ではなく、普段からこういう並べ方をしているそうです。

電車たちの前でひとしきり話をしたあと、事務所にてインタビューをさせていただきました。いろいろ面白いお話を伺いました。

たとえば富山地方鉄道の車両の形式番号は少し変わっていて、オリジナルの14760形、元西武5000系の16010形、元京阪3000系の10030形、元東急5890系の17480形など、一見するとどういう法則で番号が付されているのかわかりませんが、じつはこれ、上3桁はモーター出力を馬力(PS)で表しているそうです(14760形の出力は110キロワット=147馬力)。ちなみに現場ではたんに「60形」と呼んでいるとのこと。

「将来的に車両を保存することを考えておられるのでしょうか」という問いに対しては、「保存ですか。うーん、保存ねぇ……考えたこともありませんね(笑)。基本的には使えなくなるまで使いたおすので」。おそれいりました。

また、他社さんとの技術交流のようなものがあるのかと思っていましたが、そういうものはほとんどないらしく、すべて独力でするとのこと。しかも、職人さんたちは電気系・機械系というふうには分かれておらず、ほとんど全員の方が両方をこなすそうです。すごいですね。

車両や部品の調達を担当されている技術管理課主任(兼施設計画課主任)・車両担当のNさんはご多忙のようでご挨拶程度になりましたが、嬉しいことに、息子さんが『鉄道手帳』のファンだそうです。大変光栄です。

インタビューのあとは、待ってましたの車両工場見学です。

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ちょうど14760形電車が整備中でした。ちなみに工場内は火気厳禁なので寒い。

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見学した時は、整流子を整備しているところでした。使い込まれた感じが美しい。

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車輪もピッカピカ。

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検査器も見せていただきました。こういう計器を見るだけでワクワクしてしまうのは、男の性でしょうか。

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車庫の中。ステップに登ってみたかった……。

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取り外されたモーター。いつでも使えるようにとってあるそうです。

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ん? これは、どこかで見たような……。

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お、こんなところにアルプスエキスプレスが。

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10030形電車。ヘッドマークの隠し方がまた心憎い。このフラップの設計は前出のNさんがされたそうです。

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フラップを上げたところ。見てください、この嬉しそうな顔。

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左上部の箱は汽笛。

サービス精神旺盛なSさんのおかげで、心ゆくまで取材ができました。当日はけっこう寒かったのですが、Sさんは上着も着ないで長い時間付き合ってくださいました。本当にありがとうございました。

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来た時にはここにいなかったので、帰りがけにパシャ。

富山地方鉄道さんに取材!

先日、現在進行中の企画『乗らずに死ねるか』(仮題)の取材のため、著者・黒田一樹氏とともに富山で取材してきました。通常はこうした取材には同行しないのですが、諸般の事情により特別に同行することになりました。

富山地方鉄道といえば、最近では映画「RAILWAYS 2」の舞台として脚光を浴びましたが、何と言っても、他社からの譲渡車両を巧みに活用することで知られています。西武5000系(レッドアロー)は16010形として、京阪電車3000系(ダブルデッカー車組み込み)は10030形として、東急8590系は17480形として活躍しています。

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16010形電車(元西武鉄道5000系)

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10030形電車(元京阪電鉄3000系)

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左・14760形電車、右・17480形電車(元東急電鉄8590系)

しかも、これらの車両は譲渡後に独自の改造が施されており、たとえば16010形電車は、車体は西武特急レッドアロー時代の外観をほぼ保っていますが、足回りにはJR485系のものが換装されています。詳しくはありませんが、『鉄道手帳[2014年版]』の「地方私鉄で活躍する大手私鉄・JRの中古車両一覧」に概要をまとめていますので、ご覧くだされば幸いです。

こうした電車への乗車および撮影は、もちろん今回取材の目的のひとつでしたが、メインは富山地方鉄道オリジナルの14760形電車への乗車および撮影でした。富山地方鉄道の創立50周年にあたる1979年にデビューし、翌年、鉄道友の会ローレル賞を受賞した名車両です。

この14760形電車に乗ったり、撮影するだけならいいのですが、黒田氏いわく「特急うなづき号のヘッドマークを着用した姿を見たい」。

簡単なことのようですが、時刻表では14760形電車がいつ特急運用されるかわかりませんので、あらかじめ調べておく必要があります。しかも、運用は急遽変わることもあります。

そこで『鉄道手帳』の編集でお世話になった地鉄のA氏に相談したところ、そういうことなら、と快く運用を教えていただきました(14760形の特急うなづき運用はUN7とUN9のみでした)。さらにA氏には稲荷町テクニカルセンターの見学の手配までしていただきました。大変お世話になりました。

14760形電車には、いわゆる「かぼちゃ電車」と「だいこん電車」がありますが、おかげさまで両方とも撮影できました。

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通称・かぼちゃ電車。

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通称・だいこん電車。

なお、稲荷町テクニカルセンター車両グループ長S氏によると、特急運用でもヘッドマークを着用しないことがあるとのこと。方向幕もあるのだから、ヘッドマークは必ずしもいらないというわけですが、この日は事前に相談していたこともあって、ヘッドマーク着用写真を撮影することができました。関係者のみなさまのご協力に深く感謝いたします。

稲荷町テクニカルセンター訪問については、回をあらためて報告したいと思います。

朝日新聞に広告掲載。

『鉄道手帳』につきましては、依然として品薄でご迷惑をおかけしております。あいにく重版の予定はなく、書店ないし取次にある在庫のみでの対応となってしまいます。せっかく関心をもっていただけたところで大変心苦しく思いますが、なにとぞご容赦願います。

その代わりにはなりませんが、先月刊行した『鉄道の誕生』についてご案内いたします。朝日新聞をお読みの方は、日曜日の読書欄にこんな広告が載っていたのをご存じでしょうか。

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左下に慎ましく、しかし書名はけっこう大きく掲載されています。湯沢威著『鉄道の誕生――イギリスから世界へ』(税込2310円)。ありがたいもので、この広告が出ると、たちまち書店で反応がありました。

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本書は前にも申し上げましたように、「創元世界史ライブラリー」の1冊です。世界史の本なので、書店では世界史本のコーナーに置かれていることが多いと思います。

いわゆる鉄道趣味本ではないので、鉄道ファンの方にはひょっとしたら少し物足りないかもしれませんが、鉄道がどのような経緯を辿って誕生したのか、鉄道が登場したことによって社会がどのように変わったのかを知ることは、鉄道趣味をより深く楽しむうえで有益だと思います。

本書はしがきの一部を抜き出してみます(と言いつつ、けっこう長いので、飛ばしてくださってもかまいません)。



  ある時代に発明されたものが、同時代の社会を一変し、その後の歴史に少なからぬ影響を与えた例は数多くある。交通・輸送にかぎっても、車輪・船・馬車・鉄道・自動車・飛行機など、文字どおり画期的な発明があり、これらを抜きに近代までの経済発展はなかったと言っても過言ではない。

  とりわけ鉄道は、19世紀はじめにイギリスで発明されるや、短期間のうちに欧米をはじめ世界へと広がり、物資の輸送や人間の移動手段として日常的に使われるようになった。鉄道は各国の経済・社会や文化に大きな影響を与えることとなった。

  鉄道による高速輸送の実現は、人々のライフスタイルをも変えた。馬車ならば数日かかったような遠方への出張も鉄道ならば一日で済むようになったし、通勤列車も生まれた。生鮮食料の輸送が可能になったことにより、都会の食卓に地方からの新鮮な野菜やミルクが並ぶようになった。鉄道の発達は国内の流通ルートの変更をもたらし、全国の産業分布にも影響を及ぼすようになった。また、郵便の配達や新聞、雑誌の輸送も以前とは比べものにならないほど早くなり、人々はいち早く情報を共有できた。さらには鉄道を利用した旅行業が誕生し、世界初の旅行代理店も誕生した。

  鉄道の建設自体がもたらした経済効果も見逃せない。巨大なインフラの建設には巨額の資金を必要としたが、それは株式会社の設立によって調達された。一九世紀のあいだには三度の鉄道ブームが起こり、新しい形態のビジネスも生まれた。レールや蒸気機関車などの鉄道関連の産業や、鉄道建設にかかわった多数の建設業者たちがそうである。さらに注目しなければならないのは、輸送方法の革新として登場した鉄道が、次第にそれ自身が投機対象としての性格を強めていくことである。そこにはイギリス社会における投資家層の形成をみることができる。しかも投資家たちは国内の鉄道だけではなく、海外の鉄道にも積極的に関わっていった。一九世紀後半のイギリスの海外投資の過半が鉄道に向けられていたことの理由も明らかとなろう。このように鉄道は産業革命以降の近代文明社会の一つの象徴的な存在となり、現代社会経済の形成のうえで大きな影響を与えた一つの産業であることは間違いないであろう。




いかがでしょう。ブログだと読みづらいかもしれませんが、1つひとつ想像しながら読むと、鉄道がもたらしたインパクトがよくわかると思います。本文では、技術の発展や、トレヴィシック、スティーヴンソン父子などの鉄道技術者、鉄道建設に邁進した商人や銀行家などのエピソードを交えながら、鉄道草創期の歴史を蒸気機関車以前に遡って丁寧に解説しています。

もちろん、鉄道史上重要な蒸気機関車もたくさん出てきます。「蒸気機関車の父」リチャード・トレヴィシックによる世界初の蒸気機関車、「鉄道の父」ジョージ・スティーヴンソンによるロコモーション号およびロケット号、熾烈をきわめた「北への競争」の主役フライング・スコッツマンおよびデイ・スコッチ・エクスプレス、蒸気機関車の史上最高速を記録したマラード号など、鉄道史を彩る名車両を図版や写真とともに紹介しています。

ほかにも、レールの材質や形状の変遷、ゲージ・サイズ(軌間)決定の経緯、英米の客車の違い、鉄道建設請負業者の存在、「鉄道王」ジョージ・ハドソン、スコットランドのテイ湾とフォース湾に建設された長大な橋梁(これは必見)などなど、興味深いトピックスがたくさん出てきます。

「日本の鉄道だけで十分」などとおっしゃらず、鉄道の起源について楽しみながら学んでいただければ幸いです。優れた日本の鉄道技術も、もとを辿ればイギリスのそれに行き着くのですから、知っておいて損はないと思います。

ここはどこでしょう?(2) 回答編

昨日出したクイズの答え合わせです。

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首都圏にお住まいの方、出張される方には簡単すぎたでしょうか。正解は東京駅の丸の内口です。東京ステーションギャラリーに行ったついでに2階部分から撮影しました。

柱の文字は読み取りにくかったかもしれませんが、「AD MMXⅡ」と書かれています。「AD」はラテン語の「Anno Domini」の略で「キリストの年代」という意味ですが、ご存じのように「紀元後」を表しています(ちなみに対となる「BC」は「Before Christ」の略。一方はラテン語、一方は英語というのはどういうことなのでしょうか)。

「MMXⅡ」はローマ数字です。Mは1000を表しますから、MMで2000。Xは10、Ⅱは2ですね。ということは、合わせると「2012」になります。2012は、おそらく東京駅の復原が2012年に完成したことを表しているのだと思います。

ちなみに柱頭のほうはどうなっているかというと、

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はい、世界史で習いましたね。渦巻き飾りが特徴的なイオニア式の柱です。この柱頭は、戦後の修復の際に2階部分に移設されたものを復原工事の際に3階部分に戻し、創建当時の姿にしたそうです。

なお、『鉄道手帳[2014年版]』の12月20日の項にはこう書いてあります。

  (有)東京中央停車場完成[1914年](2) ※(有)は丸付き文字、(2)は肩付き数字

そして欄外にこう補足しています。

   (2) 設計は辰野金吾が担当。赤レンガ造り鉄骨3階建て、両翼にドームを備えたルネサンス様式の堂々たる駅舎であったが、戦火により大部分が消失した。2003年、国の重要文化財に指定。2012年には誕生当時の外観に復元。

付け加えますと、東京駅丸の内本屋は重要文化財であるとともに、近代化遺産、近代化産業遺産にも指定されています。鉄道記念物に指定されても良さそうな気がしますが……。

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ドーム天井部分。素晴らしい。

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2階から撮影。格好良すぎる。

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創建当時の赤レンガ。東京ステーションギャラリー内を移動する時に撮影。

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東京駅の復原工事の全体像については、以下のPDFが参考になると思います。東京駅見学の際に持参すると役立ちそうです。

★東京駅丸の内駅舎見学マップ(JR東日本)